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F-4C 52nd TFW / Spangdahlem AB
↑ 対レーダーミサイル AGM-45 シュライクのダミー弾をパイロンに装着したF-4C(EF-4C)/63-7467。背景は、ヨーロッパの基地らしい雰囲気が漂う。
↑ 81st TFSのF-4C(EF-4C) 63-7443。この飛行隊の機体は、後に殆どがインディアナ州空軍の163rd TFSに移籍され、1982年以降アメリカ本国の空を飛びまわった。
↑ スパンダーレム空軍基地における81st TFSのF-4C(EF-4C)。同飛行隊のフィンチップはスコードロンカラ―である黄色で塗られていた。もう一方の23rd TFSのF-4Dは、青色であった。
↑ 1978年1月 トレホン空軍基地内をタキシングする401st TFWのF-4C/64-0891。同じヨーロッパのイギリス ベントウォータース空軍基地81st TFW(WR)に在籍していたC型をここトレホンに持ってきたのである。但し C型も1978~1979年に掛けてD型に更新されている。
↑ 1970年代初頭にファントム戦闘機最新型だったE型を手放し、同航空団は1973年末から型落ちのC型を受領した。この写真は、1977年2月に当時の西ドイツ ラムシュタイン空軍基地で撮影された401st TFWのF-4C/64-0889。E型時代は、”TJ””TK””TL”の3種のテールレターを使用していたが、1972年にテールレター運用方法の変更により”TJ”に統一された。
←左は1993年以降、部隊名から”戦術”が無くなった新生第23戦闘機中隊のインシグニアであるが、この飛行隊は、F-4Gを装備した後、後継機としてA-10を装備した変わり種の飛行隊でもある。その流れでA-10の次には、ス-パーツカノに更新して長年いたドイツを離れ、2023年現在ジョージア州ムーディー空軍基地に在籍している。
F-4C 401st TFW / Torrejon AB
今は無くなってしまったが、在欧米空軍にF-4ファントムが配備されていた頃、スペインには米空軍の大きな基地があったのだ。マドリード州のトレホン・デ・アルドス空軍基地は、スペイン国土の丁度へそにあたる場所にあり、軍民共用の飛行場であった。1953年の米西防衛協定締結以降、米軍が駐留を始めたもので、1992年に空軍が撤収して、拠点をイタリアに移すまで第401戦術戦闘航空団(401st TFW)が此処を拠点にしていた。1970年初頭の航空雑誌にも”TJ”と言うテールレターを付けたF-4Cがスペイン空軍のF-4Cと訓練する写真が掲載されたが、日本の航空ファンには遠い存在でもあった。この基地にいた第401戦術戦闘航空団は、1970年に当時最新鋭のF-4Eを配備したが、僅か3年少々で古いF-4Cに交換されている。E型の機体は、西ドイツのビットブルグへ持ち込まれたようで、ワルシャワ条約機構との緊張が高い地域の航空団に優先的に新型機を配備したかったためであろう。同航空団は、在欧米空軍で最も南に位置する部隊だった為、活動範囲は中東まで及び、イラン革命前のイラン空軍との共同訓練やフランス空軍との訓練などでも中心的な役割を果たしたとされる。(2023年8月 記)
↑ スパンダーレム空軍基地をタキシングする81st TFSのF-4C/63-7467。胴体左側面には81st TFSの飛行隊徽章が書かれた。コックピット前の黒いふくらみが、EF-4Cに改造された識別点。敵のレーダー波を捉え分析する為のセンサーである。同隊には14機の改造を受けたF-4C(EF-4C)がいたと言う。
今でも在欧米空軍の一大拠点であるスパンダーレム、この地域は第二次大戦後フランスの統括地となりフランス軍の同意と監督の元建設した空軍基地らしい。この基地にはビットブルグに本拠地を持つ第36戦術戦闘航空団傘下の2飛行隊(23rd TFS/39th TEWS)が駐留してていたが、新たに編成された第52戦術戦闘航空団が、1972年12月からこの2飛行隊を統括することとなった。23rd TFSはF-4Dを装備、39th TEWSの電子戦部隊は、双発のB-66を装備していたが、このB-66を更新したのが、第81戦術戦闘機中隊(81st TFS)だった。装備はF-4C ワイルドウィーズル機で、対レーダーサイト/対SAM攻撃の専門部隊として、在欧米空軍唯一の飛行隊だった。F-4Cは改造を受けたEF-4Cとなっており、ベトナム戦闘の戦歴を活かした改造が施され、ワルシャワ条約機構軍に対する鉾の役割を負ったのである。この2個飛行隊は後に23rd TFS/81st TFSとしてF-4EからF-4Gへと更新され進化していく。(2023年8月記)
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